★紅茶の歴史の始まりについて
中国から始まる紅茶の歴史ですが、紅茶は世界各国に渡りそれぞれの地で独自の文化を開花させてきました。
紅茶の歴史をひもとけば、紅茶がより味わい深いものとなります。 お茶の始まりは中国からで、紅茶をはじめ、いろいろな種類のお茶が世界各地で栽培されていますが、もともとのお茶の原産地は、中国南部の雲南省からチベットにかけての山岳地帯です。一説によると紀元前2000年以前からお茶は飲まれていたといわれていますが、当時は嗜好品としてではなく、不老不死の薬として飲まれていたようです。
4世紀ごろに茶の栽培が始まり、7世紀ごろには緑茶が飲み物として広がりましたが、まだ貴族だけが飲める貴重なものでした。
中国で農業が重視され、お茶の生産が盛んになると、一般市民の間にもお茶を飲む習慣が広がっていきます。シルクロード等での交易を通じて、お茶はアジア各地へと急速に広がっていきました。
★紅茶がヨーロッパへ広がる歴史について
紅茶の歴史が本格的に始まるのは、西欧諸国が大航海時代を迎えた17世紀で、中国産のお茶を輸入し始めてからです。1610年ごろにオランダの東インド会社が中国茶を持ち帰ったことから始まり、その後この不発酵の緑茶を飲む習慣がフランス、イギリスへと伝わっていきました。
紅茶といえばイギリスのイメージですが、当時のお茶はオランダ経由で輸入されたため、1630年代から喫茶の習慣があったオランダに対し、イギリスは1650年代まで、その習慣はなかったとされています。
当時のイギリスがアジアとの貿易を中国ではなくインドに重点を置いていたためです。今でこそインド産の紅茶は有名ですが、当時のインドにお茶はありませんでした。
イギリスで紅茶文化が発達した歴史について
1662年にポルトガルの王女キャサリンがイギリス王室に嫁ぎました。
大量のお茶と砂糖を持参し、当時貴重だった砂糖をたっぷりと入れて、珍重品だったお茶を毎日飲んだのです。これが貴族の間で、流行してたちまちお茶は大流行しました。
お茶の輸入を独占的に行っていたオランダの東インド会社に不満を抱いていたイギリスは、1669年、オランダから茶を輸入することを禁じる法律を制定。そして2国は戦争を始めます。この戦争に勝利したイギリスはオランダからお茶を輸入する権利を奪うと、中国の福建省の廈門を拠点に、お茶の輸入を開始しましたが、イギリスで紅茶文化が発達する大きなきっかけになりました。
理由としては、廈門に集められたお茶は、現在の紅茶に似た半発酵茶の武夷茶だったからで、このお茶は、茶葉の色が黒かったことからブラックティーとも呼ばれていました。発酵させない緑茶から半発酵のお茶へと人気が移り、紅茶文化が花開いたのと言われています。
ボストン茶会事件について
18世紀後半になると、紅茶はアメリカでも人気となります。当時アメリカを植民地としていたイギリスは、巨大なお茶の消費マーケットとなっていたアメリカに対し、高額な税金をかける印紙税法を施行します。
反発したアメリカ人はイギリス商品の不買運動を起こします。
その結果、茶税は残し印紙税法は撤廃されましたが、課税反対運動はさらに広がっていきます。
1773年にはボストン茶会事件が発生して、ボストン港に停泊していたイギリス船を襲撃し、積まれていた342個の茶箱を次々と海に投げ捨てるという事件が起こりました。
これがきっかけとなり、各港で同じような事件が連続し、ついにアメリカ独立戦争へとつながっていきました。
アッサム種の発見について
1823年に紅茶の歴史はあらたな幕開けを迎えます。イギリスの冒険家ロバート・ブルースが、インドのアッサム地方で自生の茶樹を発見します。
現在のアッサム種で、中国種とは別の種類だということが分かり、1839年、アッサムティーが誕生しました。
1845年には、イギリス人フォーチュンによって、緑茶と紅茶は製法が違うだけで、原料が同じ茶樹であることが発見されます。
アッサム種は茶葉が大きいため、それまでの中国種よりも大量生産が可能になったことや、中国種とアッサム種の交配が進み、当時のイギリスの植民地であったインドやスリランカで紅茶の栽培が始められるようになったことから、イギリスの紅茶文化はますます広がっていきました。
★紅茶の歴史のまとめについて
紅茶は世界中で愛されていますが、紅茶の歴史を見ていくと最初は中国から始まったとされています。
日本には、紅茶が入ってきたのは明治時代でイギリスから伝わったとされています。当時の政府は、日本での紅茶生産を目指して、各地に紅茶の試験場をつくったり、中国やインドに製造技術を学んだりしましたが、高品質な紅茶はつくれなかったとされています。
紅茶の絡みの戦争など紅茶は大きな影響を与えていると言えます。紅茶の歴史を知ってから飲んで楽しむ事もおすすめです。